hikoki

1: 東京の夫 2014-02-21 18:33:51
今から20年ほど前に経験した実話を話す。
妻の母親が、末期癌が急変して数日間が峠との連絡が入った。
妻は、自分の喪服だあわてて宅急便で送った後に生後8ヶ月の子供を連れて鹿児島に帰省した。



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それから4日間、毎日電話で妻と連絡は取っていたのだが・・
私の仕事が夜の8時頃に終わり 疲れていたので家の近くの食堂で遅い食事をゆっくり取っていた。
当時は携帯もなく妻から8時頃から何度か会社や自宅に電話をしてらしいが気がつくはずもない。

9時頃に家に帰ると何度も電話したと怒られ母親が亡くなったとの事・・・
慌てて喪服の準備をして朝一番で会社に電話をして羽田に向かった。
前日から仕事で疲れていてテレビを見ていないのが大失敗だった。

自分1人だから直ぐに飛行機に何とか乗れるだろうと考えていたが、空港に着くと
九州方面便の全便が欠航していてジャンボの臨時便が1本だけ出るととの事だった。
都内は晴天だったのと義母の訃報で混乱していたので、何で全便欠航なのか理解できずにいた。

だが、臨時便にどうしても乗りたくて受け付けを済ますとキャンセル待ちの300番台のカードを渡された。
これは、乗れないと思ったが泣きの涙でカウンターでお願いしたが空きが出ないと無理との事。

続きます。

2: 東京の夫 2014-02-21 18:51:46
イライラしながら待っていたら何故か離陸の30分ほどで番号と名前を呼ばれた。
ビックリしながら急いで手続きをしてから飛行機に乗り込んだ。
上空は、何処まで上がっても鉛色の空で外は全然見えなかった。

鹿児島空港に近づくと雨もいっそう激しくなりジャンボ機が揺れた。
気は焦っていたので、着陸態勢に入ったので安堵していると・・・・いきなりジャンボ機が上昇した。
「エッ・・」「何で??」 と困惑していたら、機長から
「空港にアタックを試みましたが着陸は危険と判断し再度アタックします」との機内放送があった。
その後、着陸を試みるも また上昇した。

続き・・・
機長から「再アタックを試みましたが風が強く着陸を断念しました」
「上空には、6機が待機している状況なので最後のアタックをします」「もし着陸できなければ福岡空港に向かうかも知れません」との機内放送があった。
機内では落胆の声が上がったが現実を知るとみなさん静かになった。
その後、最後のアタックで何とか着陸したが・・・・その日、着陸出来たのはその1便だけだったとの事。

私は、そんな事より義実家に行くのが優先だったので焦りながら高速空港バスに乗った。
連日の仕事の疲れと前日は、殆ど寝ていなかったので高速バスの車内で寝てしまった。
時計を見ると1時間ほど経っていたので・・「しまった乗り過ごした」 と慌てていると
バスの中で乗客が騒いでいる・・・

外は大雨でバスは、殆ど動いていなかったのですよ。
未だ混乱している私は状況が掴めず、他の人に聞きました「大雨程度で何で動かないのかですか?」
すると地元の乗客が言うには、
「台風ですよ」「巨大な台風が、直撃して被害がすごい」「亡くなった人も出ているらしい・・・」
そこでようやく身に起きた状況を知ったが、早く亡き義母と妻のもとに行かねばならない。

続く

3: 東京の夫 2014-02-21 20:08:06
続き・・・

私は、焦っていたのでバスの運転手に「どうなっているのか」と聞くと橋が流され前に進めないとの事。
私は「迂回しなさい」と文句を言うと 運転手が、バスの本社からの連絡では、後ろも橋が流され
バックも出来ないらしい・・との事だった。
仕方なく「では、近くの鉄道の駅に行ったらどうかと提案した。
運転手は「その前に一度、公衆電話を探します。 そこで緊急の人だけ電話連絡して下さい」
大雨の中10人程が公衆電話に並んだが殆どの人が連絡できず時間だけ過ぎて行った。

そのうち運転手が「状況が酷くなる前に駅に向かうので全員乗車して下さい」と言うので
私は、ずぶ濡れになりながら又乗車した。
大雨の中、何とか駅に向かうと・・・・駅には「線路が流され全線不通です」との張り紙が有った。

私は、妻実家に連絡もしていないので、運転手がバスに避難して下さい・・との声を無視して
大雨の中を構わず1人で傘をさしながら前に前に歩いた。
2キロほど歩いたら公衆電話を見つけたので妻の実家に連絡すると義父が「今は何処にいるのか?」
「無理せず東京に引き返した方が良い」とのアドバイス・・・
公衆電話に貼って有った「隼人?」の地名を言うと「そこからは1時間は掛かるとの事」
「空港は引き返せない、道がない」と言うと「何処かに泊まりなさい」との事

妻に電話を変わってもらって泊まれそうな場所を教えてもらうが自分のいる場所さえ解らない。
しかもタクシーすら走っていない・・・その時に10円玉や100円玉が尽きた・・・・
ともかく大雨の中を歩くしかない・・泊まれる所を自力で探すしかない・・・
車も走っていない中をともかく歩いた。  

続きます。

4: 東京の夫 2014-02-21 21:00:58
続き・・・
しばらく歩くと開いていた商店を見つけて泊まれる所を紹介してもらったがそこは自動車学校の合宿用の施設だった。   施設を紹介されたが正直言って狭いし汚かったが、何より風呂が終わったとの事では、ずぶ濡れの体には風呂がないと寝るに寝れない。

そこの施設の方から食堂兼民宿(?)を紹介してもらいそこで食事をしてから風呂に入り濡れた服を乾燥させてもらった。
部屋は、全室空いていたのでクーラーの良く効く20畳程の部屋に入れられたが・・しばらくすると別の部屋に移れとの事。
高速バスの乗客がバスごと避難してきたそうだ。
今度の部屋は8畳ほどだったが・・・また移された。別のバスの避難客がきたそうだ。
バス会社の費用だったらしく始めの部屋には20人以上押し込められど雑魚寝だったらしい。
最後は、四畳半の部屋だったが「これが最後の移動です」と言われたが自費なんだから当然かな・・

民宿(?)の人はいきなりのお客で混乱していたが親切だった。
私は、大雨の中を歩いたのと疲れていたので朝は、8時頃に起きた。

朝は、意外と天気も良くその店の食堂で食べながら民宿の人が「昨日は大変でしたね」と言ってくれたので自分の窮地と地理が全然分からないが、どうしても葬儀に出たいと伝えると・・・
食事をしていた地元の人や食堂の女将が目的地には「農業空港」がある。(現在は廃止したとの事)
一度、鹿児島空港に戻りそこからセスナに乗れば、行けるとの情報を得たのでタクシーを呼んでもらい
裏道、裏道を通り何とか空港に着いた。

空港に着いてからセスナ用の場所に行くと、大人3人と子供が1人がいたので聞くとセスナの飛ぶ時間まで1時間ほど有るのと台風の影響で風が有り飛ぶか飛ばないか未定との事だった。
その場にいた人は全員昨夜の台風で亡くなった遺族だった・・・・

続く・・・・

5: 東京の夫 2014-02-21 21:36:07
続き・・・
そこで私が、皆でお金を出し有ってチャーター便を飛ばしてもらおうと提案し、
セスナ会社の人に理由を話し何とか飛ばしてくれないかと交渉したが、
空が荒れているので途中で引き返しても良いなら飛ばすとの事で皆さんに了解をもらいセスナで農業空港に向けて飛んだ。

パイロットは、空が荒れているので低空で飛ぶとの事だったが、荒海の小船のようにセスナは上下した。
セスナがポケットに入り急降下した時は、死んだと思いましたね(泣)
しばらくし海岸沿いを飛んでいた時に下を見ると・・・海岸沿いの道路には、車が何キロも渋滞していた。
その時に「何だ車は走っているじゃないか」「道路は生きているだろ」と思ったのだが・・・

だが・・・先頭を見たら道路が、ガケ崩れしていて車が海に何台も落下していた。
しかもガケ崩れの先の最後尾の車も半分落ちかけている・・・
要は、渋滞中にガケ崩れが起きて真ん中の車だけが落下したのだろう・・
しかも低空で飛んでいるお陰で、車の被害者らしき動かない海に漂う人影も見えたしね・・・(合掌)
同時にセスナは激しく上下するので、恐怖のあまりシートベルトを必死で掴んでいた。
(今、思うとシートベルトを掴んでも関係ないんだけど、その時は必死だった)

何とか農業空港に着いた時は、ヒザがガクガクしていた・・・
その心理状態だったので妻に電話することさえ忘れていた。

続く・・・・

6: 東京の夫 2014-02-21 22:24:50
続き・・・・

農業空港(?)からタクシーで妻の実家に着くと面識のない人がいたので名乗ると妻が出てきた。
妻は、私の姿を見るとかなり驚いて「何でいるの?」「帰らなかったの?」「何でいるの?」
「どうやって来れたの?」と驚くばかり・・他の面識のない親族も驚くばかり・・

同じ市内に住む義母の兄弟姉妹や義父の兄弟は橋が流されたのと道が台風の被害で通行できず
葬儀に出れない人が何人も居るのに東京の人間が玄関に立っていたからだった。
しかも義母を乗せた車は既に出ていて、遺族用のワゴン車が台風で手配出来ず
数台の自家用車でのピストン輸送の最後便を待っている所だった・・
何とか着替え最後便に乗れたが、あと10分遅れていたら義母の骨も拾えなかった。

その後、無事葬儀を終えて会食したが、私は親族の中でヒーロー扱いだった。
だが、義父が東京の人間がいるのに何故市内の人間が参加しないのは・・・とブツブツ言っていた。
私は「義母さんが呼んでくれたんですよ」と言ったが本当にその通りだと思ったし親族の方々も「そうだね」と言ってくれた。

その2日後に次の台風がきていたので義弟達が
「しばらく帰れないかも知れないので、今のうちに帰って下さい」と言われ帰京したが、会社でも
「何でいるの?}「良く帰って来たね」言われた。

台風のニュースで被害が凄かったのと次の台風が迫っていたので、こりゃ1週間以上は帰って来れないとの事で
仕事の手配を他の人間に割り振っていた。
義母さん・・・帰りは気を使ってくれなくとも良かったのにぃ~wwww

1人で暮らしている義父の癌の手術が比較的上手く行ったのを記念して、カキコしました。

引用元:キチネタ募集!
http://kitimonogatari.com/archives/35272781.html


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