taoreru

1: 不思議な名無しさん 2014-03-15 02:33:55
幼い頃のことなので、記憶が曖昧なところもあります。フェイクも。
私は訳あって、曾祖父に育てられていました。
その時の家族構成
曾祖父 84才
祖母 65才
母 40才
私 7才

お察しのとおり、私は母子家庭でした。
自営業で忙しい祖母と母に代わり、高齢の曾祖父が私を育ててくれました。
春には桜を見に、夏はアイスを買いに、秋には木の実を拾いに、手を繋いで色んな所に行き、冬はゴツゴツの体で抱きしめて寝てくれました。さみしいなんて思った事がなかったです。ケンカもたくさんしたけど、いちばん可愛がってくれました。

8才の七夕の夜、曾祖父がいきなり倒れました。



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あーうーと言いながら、右手だけ動かしていました。
当時はポケベルの初期で、親は仕事で出ている。でもとにかく曾祖父を助けなきゃ、と、母のポケベルに決めていた緊急の暗号を打ち、お隣さんのドアをドンドン叩いて助けて!救急車!ひいじいちゃんが!と叫び続けました。
お隣さんがすぐに救急車を呼んでくれて、母も割りとすぐに帰ってきて、そこで初めて泣きました。
いつもシャキシャキしていた曾祖父の、いきなりの変貌、このままじゃ危ない、死んでほしくない、色んな思いでいっぱいでした。
2: 不思議な名無しさん 2014-03-15 02:49:22
続きです。

結果は脳梗塞でした。
このまま寝たきりも覚悟してくださいと言われました。
しかし、曾祖父は医者もびっくりするほどの回復力で、麻痺は残ったものの、喋れるし介護はいるけど割りと普通になりました。
助けを呼ぶのが速かった事が幸いだったとのことで、私は誉めてもらえたけど、ただ曾祖父が生きてくれたことがうれしかった。また泣きました。

麻痺が残り、自宅生活は無理だったので、亡くなるまで病院生活でしたが、8年がんばってくれました。
痴呆も進んで最期らへんは大変でしたが、私の名前だけは忘れずに呼んでくれたことも衝撃というか、うれしかったです。ありがとうって思いました。

大切な人が尋常じゃない状態に陥ったときの表情は今も忘れられません。倒れた時の曾祖父の顔や言動は、忘れられません。
世間からすれば大したことではないとおもいますが、自分の人生でいちばん悲しかった衝撃でした。

お目汚し失礼しました。

引用元:直接投稿@はーとらいふ
http://heartlife-matome.com/archives/36769615.html

※はーとらいふさんから許可を得て掲載しています



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